外科療法(手術)入院記その3 [卵巣癌根治術(手術)]
術後2~4日目。
毎日のように家族がお見舞いに来てくれ、励みになった。
痰がすごくて咳で出そうとするがお腹が痛い!!
術前食に戻るといっても食欲がわかない。
おかゆさんにしてもらったが、糊のようで食べにくい。
とにかく食欲が全くわかない。
点滴の針を手の甲でテープで止めているのだが、汗をかいてすぐにはがれる。
でも、私の感覚としては、まだ暖かい10月なのに寒くて寒くて仕方ない。
これは、腹部の胆汁ドレーンを外してもらうまで続いた。
電動でベッドを起こしてから、腕で押して乗り降りするのだが、コツが難しい。
お腹が痛くて曲げられず、しゃがむことができないのに、床に携帯を落とした。
それを、お腹が曲がらないのを忘れてとろうとして転倒、
ドカーーーーーーーーン!!
というものすごい音で壁に頭を打ち付けた。
あまりの大きな音でびっくりした同室の女性が2人ほど様子を見に来て、詰所の看護師さんたちに報告してくれた。
看護師さんたちがすっとんできて、
「病院にいてるのに怪我してもらったら困る!!血をサラサラにする血栓の注射してるから、よけい脳内出血起こしやすいのに!!」
というわけで、車いすに乗せられ、真夜中の病院内を滑走した。
薄暗い夜の病院内の待合室のそばを通り、エレベーターに乗り、廊下を抜けて脳外科へ。
どこをどうやって到着したか記憶にない。
CTの台にのせられ、頭のCTを撮った。
そしてまた、車いすに乗せられ夜の病院を滑走して病室へ戻った。
CT撮影の結果、脳に異常なしで一安心。(ー ー;)
この事件は、後々も看護師さんに弄られた。_| ̄|○
迅速に看護師さんに連絡していただいた同室の患者さんたちには感謝してもしきれない。
私のベッドの傍にある壁はベコーーーーッとへこんでいた。
べニア板だろうと思っていたら、けっこうな合金だった。
後で思うと、夜の待合室に座ってたおじさんて何者~?←
外科療法(手術)入院記その2 [卵巣癌根治術(手術)]
そして、待機していた両親と妹に取り囲まれた。
子宮内膜全掻把の時とは違い、かなり落ち込んだ気分で目覚めた。
「仕事はどうするの?」
夢の中で責められ続けていた。
家族が、「もうそろそろ帰る」というのをひきとめてしばらくいてもらったが、やがて連れだって帰宅した。
痛み止めの麻酔が効いているせいか、それほど痛みを感じない。
自分で親指で押して量を足せるタイプの痛み止めで、痛くなってきたときに便利だった。
主治医がやってきて、血中の酸素濃度が低いので酸素マスクをつけておくようにとのこと。
うつら、うつらすることはできたが、あまり眠れない。
一晩中足につけられた血栓予防のプレスがプシューーー、プシューーーという音を聞いていた。
看護師さんが、床ずれ防止のため身体を左に向けたり、右に向けたり動かすのだが、尿道カテーテルと腹部ドレーンが邪魔で安定しない。
たくさん、枕を持ってきて体を固定して横向きにされた。
主治医がやってきて、傷の具合を診に来た。
まだ、ひもでとめるワンピースの手術着だったので、はだけると紙パンツ一丁だった。
(ウケる)
翌日、主治医が看護師さんを伴って回診にきた。
もう、上下別れたひもでとめる入院着に着替えていたのだが、自ら裸になろうとしたら、主治医に
「上は脱がなくていい!!(下を少しずらすだけ)」
と止められた。←(ウケる)
看護師さんが回診に来たときは、上着も邪魔になるので脱いでいたのだった。
寒気を感じていたので、あんかをもらったら、身体に熱がこもって38度越えになってしまい、さますために掛け布団をはがされ、上着をはだけさせられた。過激に寒い!!
そして、看護師さんが2人やってきて
「歩く練習をしまーす!!」
と言われ、ものすごくびびった。
昨日お腹切ったばかりで管だらけのまま歩くの??
「今、歩いとかないと、腸閉塞になりますよ!」
と言われて、それだけはカンベンとイヤイヤ頑張ることにした。
点滴をつえにして、なんとか立ち上がることに成功したが、病室の入り口で貧血を起こしてまた部屋に戻って仕切り直し。
また、時間をおいて看護師さんが来た時には、なんとかトイレまで点滴を押して歩いた。
「歩けたから、尿道カテーテルが抜けますよ」
と言われたときはうれしかった。
夕方に痛み止めの麻酔の管を抜きに来たとき、
「まだ待って~。麻酔おかわり」
とお願いしてみたがダメだった。
痰がからんでぜろぜろしてしんどい。咳をすると痛い!
手の甲と手首が針のさしあとだらけで、内出血して真っ黒けになっていた。(特に左手首)
夜21時から血をさらさらにするための血栓予防注射が始まった。
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外科療法(手術)入院記その1 [卵巣癌根治術(手術)]
また準個室の窓際の部屋だーー
手術前日、12時から絶食、13時から3時間かけてニフレックという下剤を2L飲まねばならない。
なんだか、出しても、出しても←(汚い)便が透明にならなかった。
翌日の手術当日、朝に浣腸をしてもらい、最後のおトイレへ。
手術着に着替え、むくみ止めのストッキングを履いてスタンバイ。
いよいよ朝8時40分に看護師さんが迎えにくる。
父と妹に挨拶をして、母とがっちり手を握り、
「頑張ってきなさい」
と言われて、手術室へ向かった。
手術室に到着し、中へ入ると、いろいろな科の先生方から自己紹介された(覚えられない)。
「おはようございます。」
と、部長先生から挨拶されて、
「おはようございます。」
としか返していなかったが、あとで思えば、
「よろしくお願いいたします」というべきだった
部長先生は手術着に手袋、マスクをつけていて準備万端だった。
気持ちを落ち着けようと、主治医はどこ?ときょろきょろ探したら、
マスクはまだつけておらず(スタッフー!)、手術着に手袋を装着した状態で非常に困った表情をして腕を膝にクロスしてしゃがみこんでいた。
その、非常に困った主治医の表情を見てから、手術台に上がり、脳外科の先生に脳波計をセットしてもらい、
麻酔科の先生に麻酔を左手静脈に入れてもらった。
「わたくし、プロでございます。」
と言った麻酔科の先生の言葉が心強かった。
余計なことをべらべらしゃべりながら意識がなくなった。
そして、麻酔から覚めた。
主治医の顔が見えた。
子宮内膜全掻爬の時の笑顔の真逆、非常に心配そうな表情だった。
大勢の手術に立ち会ったスタッフの方々が6時間に及ぶ大手術に耐えた。
手術台の両サイドに先生がいるという感じの、大規模な手術が終了した。
両親と、会社を休んできてくれた妹が入院の部屋で出迎えてくれた。
6時間座って待ち続けていて、エコノミー症候群になりそうだったという。
酸素マスクをつけたまましゃべると、あまり声が届かないので、しゃべるときだけマスクをずらした。
しばらく私とお話をしてから、家族は連れだって帰って行った。
私の身体には、麻酔、点滴、ドレーン、尿道カテーテルの管が入っていた。
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